川柳誌『バックストローク』50句選&鑑賞(1)   湊圭史

『バックストローク』は2003年創刊の川柳季刊同人誌。創刊号の巻頭言「形式の自由を求めて」で発行人石部明が「私たちは川柳を刷新する」と書いているように、現在形の川柳の追求を理念とし、現在(2010年10月)までに31号を刊行している。ここでは、創刊号から第30号までで発表された句から50句を選んで鑑賞を書いてゆく。

『バックストローク』には毎号、掲載句についての石田柊馬・石部明による長い評文が付されており、その意味では、発表句は充分に読まれているといってよい。ただし、その評は川柳ジャンルにすでに参加しているものに向けられており、同誌を初めて手にとる、また、現代川柳に初めて触れる読者にとっての導入になりうるとはいいがたい。

一般的に言っても、短詩型の雑誌は同ジャンルにすでに参加しているもの以外には、非常にとっつきにくいものである。たいていは最初から句や歌が羅列されていて、発行しているものにその意識はなくとも、慣れないものを拒絶する体裁をとっている。この点、『バックストローク』も例外ではない。現代川柳になじみのない読者でも、少なくとも何らかの表現に高い意識をもつ人たちに開かれてゆく道すじはないものだろうか?

そこで、私は川柳ジャンルになじみのない読者にも面白さ(少なくとも、私が感じている面白さ)の核が伝わるように、毎号500句以上、累計推定で15000句(500×30の単純計算で)の掲載句から50句を絞り込んで、鑑賞を書いてみることにした。ここを手がかりに、『バックストローク』、そして広く現代川柳の作品に興味をもっていただけたらありがたい。

私は第30号から同人参加しているが、初心者である現在の位置は、上記のような試みに適していると思う。まだ、ジャンルの外部からの視点が残っているはずだからだ。逆を言えば、『バックストローク』の他の同人が50句を選び、鑑賞を行うとすればがらっと句も、視点も変わってしまうに違いない。あくまでも、私個人の視点から面白いと考える句を選び、鑑賞を行ったということをここで明記しておきたい。

50句を選ぶプロセスで少し時間をかけたが(ブログ「海馬」参照)、その結果、選んだ句は現代川柳がもつ傾向、例えば、ナンセンスと意味性、抒情と批評性がバランスよく含まれているものがほとんどになった。一見、そうした両極の一方に振れているように見えても、もう一極にもしっかりと裏打ちされているような句である。

この一年半ほど様々な句会に参加して、川柳全体の幅としては、どちらか一極に突っ走った句をも含んでいて、ジャンルとしての魅力はむしろバラバラな傾向が共存するところにある、という思いもある。しかし句を選抜し、一句一句鑑賞を書くという構えからすると、「一句だけで立つ」句を選らばざるをえないところがあった。興味をもっていただいた方には、現代川柳の様々な場でより多様な作品に触れていただきたい。

50句のうち、2句をとりあげた作家が4名、残りは1人1句となっている(したがって作家の数で言うと46名)。選を始めた時はもう少し特定の作家に偏ると予想していたのだが、それまで意識していなかった好句、好作家が見えてきたこともあり、私個人としてはそれだけで充分、選を試みた甲斐はあったと感じている。また結果として、『バックストローク』に拠る川柳家のもつ幅が伝わるのではないかと思う。

この第一回は10句を鑑賞する。句の順番は順不同である。一番下にPDFで、選んだ50句のリストが付してあるので参照していただきたい。(作者名の後ろのデータは掲載の号数と、a=アクア・ノーツ(同人雑詠欄)、w=ウィンド・ノーツ(投稿欄)、k=課題吟、を表す。)

暗黒の虹吹き上げて自爆せん          松本仁 第6号a

自爆テロを題材とした時事吟ととりあえずは言えると思う。「暗黒の虹」は原油のこととして、そうすると、原油パイプラインを狙ったテロリズムを描いていると読める。しかし句の仕立ては異様である。ここでは句の発話主体みずからが「自爆せん」としているのだ。石川啄木は「われは知る、テロリストのかなしき心を」と心情的に「かなしみ」を唄ったが、現在において私たちを巻き込んでいる状況はより複雑であり、また直接的でもある。この一句はむしろ「怒り」を通してテロリストと一体化する。そして、世界の裂傷としてのテロリズムを一句として定着してみせる。

パソコンをどついてどついて雲にする      石田柊馬 第13号a

一転して、表面上は〈かるみ〉の勝った句である。「パソコン」を「雲」にするという奇想、関西弁「どついて(殴って)」の8音字余りにしてのしつこい繰り返しは、昔なじみの漫才のように読者の顔に笑みを浮かばせる。だが、そこからじわじわと響いてくる思いは、どうしようもなく苦みを含んでいる。「パソコン」は電子機器そのものというよりは、この十数年で一気に私たちを巻き込んだ新しい情報環境の換喩だろう。あるいは、具体的なモノとしての「パソコン」は「どつく」ことができるのかも知れない。しかしその後に残るのは、掴みどころのない「雲」のような得体の知れぬ世界の感触でしかない。

迂回路にキュウピイさんの行きだおれ      飯田良祐 第15号a

言葉が投げ出されたような唐突な一句である。「迂回路」とは何からの迂回路なのか、「キュウピイさん」はおなじみのあの裸の赤ちゃん人形だろうが、それが「行きだおれ」ているとはどういうことか。裏路地に人形が打ち捨てられている光景を想像することもできるが、それよりも先に伝わってくるのは、一言でいえば、全面的な「どうしようもなさ」の感覚である。一句は、「キュウピイさん」に一種の自己イメージを示しているだろう。常道から外れた(と意識される)道を、成熟に至らないままにとぼとぼと歩いて、最後は「行きだおれ」てしまう。現代人が感じる現実の苦みだろう。

てのひらが樹をバラバラにしてみせる      前田一石 第15号a

「てのひら」はある人間と世界との接触面である。他人と握手するにせよ、モノを掴みとるにしろ、個人がもつ関係性の最前線となる。手相として人格や将来が現れると信じられたりするのも、内部と外部の交わりの複雑さを受け止めるこうした身体的位置から納得される。この一句では、その「てのひら」が「樹をバラバラに」してしまう。関係を築く始まりとなるべき部位が外部への暴力性を露わにする。「~みせる」という句末はこの「てのひら」が語り手とは別個の存在として意識されていることを表すのだろうか。個人の主体性という位置から制御不能な関係のあり方を描いている、と読んでおく。

愚直な斧が上から下に向かうとき        松原典子 第15号a

川柳独特の省略が効いた句。「向かうとき」いったい何がどうなるのか? 「斧」が切る対象についても、「斧」を振るう主体についても書かれていない。にもかかわらずこの句に説得力を感じるのは、細工に向かない「斧」の性質をしっかりとらえて、「愚直な」と擬人化ぎみに表現した視点(うがち)によるだろう。「斧」は対象がなんであれ、振られればそのまま「愚直」に切りつけるしかないのだ。この描かれた「斧」はあくまでも「斧」そのものでありながら、この世のあらゆるものの喩となりうる。読者には「~とき」の後を考えることで、それぞれの読みを展開することが許されている。ここでは横書きだが、この句は「上から下に」縦書きで読まれるのが特にふさわしい句。

闘いとして次々に産む蛭子         山田ゆみ葉 第28号a

イザナミとイザナギが最初に生んだ子供である「蛭子」。かたちのないどろどろとした奇形児であったため、海へと流されたという。ここでは語り手はその「蛭子」を「次々に産む」。しかもそれは「闘いとして」だというのだ。ここに込められているのは、あやふやな〈正常〉という基準への攻撃的なまでの違和感である。女性の身体性に引きつけられて、あるいはそれを起点として書かれていて、批評性という言葉で表すにはあまりにも直接的で痛ましいイメージではある。ただしこの句には、不思議にあっけらかんと明るいところもあるように感じる。蛭子の名に「日」や「昼」を読みとる説もあるという。今はまだ「闘い」であるが、身体性や生の解放が夢見られているのかも知れない。

樹を伐ろう鸚鵡の口をふさごうよ   いとう岬 第4号a

エコロジー・ブームに便乗して、「パロッティング」(聞きかじったことをそのまま自分の意見のように繰り返すこと、パロットは英語でオウムの意)することへの強烈な皮肉、とまずは取れる。そこで終わると時流への単なる当てこすりだが、「伐ろう」「ふさごうよ」からは、親しげな呼びかけの下に隠れたより無根拠な暴力性が読みとれような気がする。短詩型作品に作者本人の姿を読みとろうとする傾向は強いと思うが、ここで発話している存在はいったい誰(何)か。この句を書き、また読む者のポジションはむしろ、この発話をとつぜんどこから響いてくる声に聞きとってしまう立場ではないだろうか。

大鍋も蟹も無力で陽が沈む       柴田夕起子 第10号a

詩歌のひとつの常道として、大には小を、重には軽を合わせる行き方がある。同じ傾向の要素を重ねては足がそろってしまい、詩的な可能性が開かれない場合が多いからだ。川柳にはそれとは逆に、同じ傾向をこれでもかと重ねることで行き着くところまで行ってしまうパターンがある。5の「愚直な斧」の句もそうだが、この句も同タイプだと言ってよいだろう。重ねて表現された「無力」さは、句の締めによっても救われることはなく、より深く圧しつけられる。ある種の諦念ととれば、読み手としては安心できるかもしれない。が、句によって剥きだしにされているのは在ることそのものの重みといったもので、読み手としてはそれに圧倒されるよりほかない。

始発からかるく失望する電車      白藤海 第14号a

「始発から」ということは、その後、一日ずっと「失望」しつづけるのだろう。5や8の句がこの世の手ごたえから圧倒されている存在の呟きだとすれば、こちらは逆に手ごたえのなさこそが世界の実体と言いたげだ。「かるく」というのは、この「失望」が大したことではない、というのではない。まったく逆である。この句で提出された世界感覚においては、深く重く「失望」することが許されていないのだ。「失望」とはネガティヴではあっても世界との関係の証しであるが、ここに示された関係はどこまでも「かるい」。そこに本当の意味でのキツさが浮かび上がる。「電車」はおそらくスケジュール通り、明日も明後日も明々後日も「失望」し続けるのである。

10

自販機の中に雨降る ボトル落つ    小野善江 第15号w

写生が効いた句。自販機の中でパーティーのような光景が繰り広げられているコカコーラのテレビCMがあったが、確かに、コインを入れてボタンを押し、お目当てのドリンクが落ちてくるまではブラックボックスであり、中で何が起こっているかは私たちには分からない(もちろん、機械の仕組みは調べれば分かるが、それとは別の次元での話)。たとえ一瞬であっても、まったくの空白の時間がある。この句はその一瞬に「雨降る」という光景を挿入する。この雨を何の象徴ととっても読者の自由であるが、重要なのは、ここに実体的なイメージが差し挟まれたということだ。現実の揺らぎをすくいとった好句だろう。

川柳誌『バックストローク』50句選&鑑賞(2)

『バックストローク』湊50句選PDF

One Response to 川柳誌『バックストローク』50句選&鑑賞(1)   湊圭史

  1. 吉澤久良 より:

    湊さんほどのパワーはありませんが、何句かについてコメントさせていただきます。
    一句について、様々な読みがあることが川柳の豊かさにつながると思います。
    しかし、これにコメントを付けるのはキビシイ。いくつ付けられるだろうか。
    (失礼ですが、評は敬称略で書かせていただきます。)

    1 暗黒の虹吹き上げて自爆せん          松本仁 第6号a

     反権力の視点、抑圧される者や弱者の視点から世界を見ることが、松本仁の基本的な姿勢であるように思われる。この句には下方から上方へのベクトルがある。しかもその上方の風景である、吹き上げる「虹」は、湊が指摘するように異様であり、凄絶である。この上方の異様さ凄絶さは、反作用のように下方の暗い衝動と対置されている。下方の衝動とは、「自爆」の語が象徴するように、抑圧されたものの爆発である。以上が句の構造についての読みであるが、テロリズムの華麗さはヒロイズムと重なっている部分があるように思われる。

    6 闘いとして次々に産む蛭子         山田ゆみ葉 第28号a

     松本の「暗黒の虹吹き上げて自爆せん」と比べてみると面白い。世界への違和感、闘いという点では同じなのだが、闘い方がまったくといっていいほど違うのだ。「自爆」というタナトス(死)と、「産む」というエロス(生)との差ではないかと思う。「この句には、不思議にあっけらかんと明るいところもあるように感じる」と湊が指摘しているのは、そのあたりのことと関係しているのだろう。ゆみ葉の句には松本の句ほどの爆発力はないが、いかにもしぶとく柔軟である。松本が直線的に散華しても、ゆみ葉は屈服しない。曲線的だからだ。世界との闘い方、違和感に対する、それぞれの方向の個性。

    2 パソコンをどついてどついて雲にする      石田柊馬 第13号a

    「どついてどついて」とは、いい大人のすることではない。子どもが、あるいは大人の中の子ども性がさせる行為だ。「ど」」ついて」という話し言葉の繰り返しに、駄々をこねている、あるいは癇癪を破裂させている子供のイメージが重なってくる。しかし、駄々をこねていても癇癪を破裂させていても、子どもは悲しさ淋しさのなかでうっすら諦めを予感しているはずである。充足しているわけではないのだ。それが湊の指摘する「どうしようもない苦さ」の正体ではあるまいか。「どついてどついて」の一見雑に見えるコトバは、実は周到に準備されたものであるようにも思われるが…。

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