『田中博造川柳作品集』    湊圭史

『田中博造集(セレクション柳人8)』(邑書林、2005)も出ていますが、ご本人にお目にかかる機会があり、

『田中博造川柳作品集(黎明叢書第5集)』(川柳黎明社、2002)

を送っていただきましたので、こちらから読ませていただきます。

それぞれの魚を放つベッドの灯

夫婦の距離感を描いた作品がいくつも収められています。直接は書きこまれていませんが、これもそのうちの一句かと思います。「魚」も頻出するイメージで、社会性(夫婦という関係も含めて)から解き放たれた〈魂〉の形象化のように読めます。人間関係を想起させながら暑くるしくならず、過剰に乾いてもいない静かな読後感。美しい句だな、と思います。

どの夜具も妻をつつむとムンクの絵

こちらは「妻」が直接、登場しています。ムンクの絵のあの濃厚な色彩のうねりでしょうか、「みだらな踊り手たち」というダンスの場面を描いた絵が思い浮かびます。ロマン主義的な欲望と不安。句集全体を通して、単に若い年齢によるものではなく、歳月によって純化された〈青春性〉を感じます。これまた美しい句です。

夢に来る眼のない魚のひとつがい

ふたたび、「魚」。最初の句のあと、ふたりが寝静まったあとのことでしょうか。「夢」、「眼のない」と無意識のイメージであることがほぼ明示されてあって、こちらのほうが一見読みやすそうですが、「ひとつがい」が夫婦どちらか一方の夢のみのイメージなのか、それとも二人のひそやかな意志が通じ合っているのか……。どちらにも読めそうです。

缶コーヒーを開ける 頭蓋骨が見える

わずかな動きから、カチリという指先の感触と音、そこからの視覚イメージへの飛躍。切れのある句、といっても俳句の切れのことではないですよ。一般に「切れがよい」というときの切れ。こうしたスピード感は俳句にはないですね。この句では、スピードにのって一瞬の死の予感がはっしと切り込んできます。

とんでもない話だ 羊が五万頭

同じく切れがよいですが、こちらはユーモラスな作品。「とんでもない話だ(何が?)羊が五万頭」と、(何が?)の部分を読者は担当させられるわけですが、答えの部分でうっかり笑ってしまう。ただし待てよ、羊が五万頭いると、何かほんとにとんでもないことなんじゃないか、などと考えだすと、ケムに巻かれますよ。

ゆったりした無意識まで届くようなリズム、読者の意識を瞬間にひっくり返すような切れ、どちらも心地よいです。何よりも、無理をしない美意識があって、川柳や短詩型における〈詩〉の、ひとつの理想のかたちかなと感じました。

(湊圭史  ブログ「海馬」2009/06/15 から転載)

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