新葉館出版刊〈川柳作家全集〉を読む(1)

 2009年から2010年にかけて、新葉館出版から〈川柳作家全集〉全100巻が上梓された。「川柳界の第一線で活躍の作家、人気作家100名の川柳コレクション」と銘打って、1巻1人収録で100巻。「川柳界の第一線」がどこにあるのか、よく分からないけれども、未見の好作家がいるのならばぜひとも覗いてみたいところだった。しかし1巻1000円だが100巻セットでしか購入できないらしく、そうなると10万円オーバーでとても手を出そうという気にならない。といった感じだったのだが、たまたま100巻セットを所蔵している公立図書館を見つけたので足を伸ばして訪問、最初の20巻+気になる作家の巻を数冊読んできた。
 作品からはとても「第一線」だとは思えない作家も混じっていて(なんだか団体のトップになっていれば「センセイ」で作品もよいという判断になってしまうのかも知れない、と思うとかなり寒々しい)、そうした場合は1巻を通読するのに苦痛だったりもしたが、そうしたところにケチをつけてもつまらないので、ここでは面白いなと思った作家の面白いと思った作品をとりあげてみたい。


 
『青田煙眉(川柳作家全集2)』新葉館出版、2009

作者は十四世根岸川柳‐十五世脇屋川柳の系譜につらなる作家らしく、根岸川柳が晩年に開拓した自由な句風を引き継いでいる。

夜ルよ――牛の乳房を君に付けたい      青田煙眉

髪の中へ落日である

コーヒーの中で少女の時計が射たれた

血液の中で無数の亀になる

底辺になる赤ん坊のハムの投影

冬――わたしです

家族思いの象でしたアサリ売りです

ローソクは鷲を生んでいきました

銃弾をなめる猿になりたくない

陰毛の虹を集めて切るリンゴ

「冬――わたしです」のダッシュの使い方は例えば根岸川柳の「瀧――盛大に陰毛がそよぐ」のような句に倣ったものだろう。内容的にも、根岸川柳「茹でたらうまそうな赤ン坊だよ」といったグロテスクへの思考にも影響を受けているのはすぐに見てとれる。
 と、こうした影響関係をとりあげると、エピゴーネンとして否定しているようにとられるかもしれないが、私はむしろ肯定的にとらえている。川柳にしろ俳句にしろ、戦後とくらべて現在は破調を追求する作家が減っているように見える。定型を崩すには、主体の自由であったり、社会性であったり、そういった強い根拠が必要であって、現在はそうしたものを求めるのが難しいのだと思うが、それを思うと、こうした文体を継続して創作している作家の存在は貴重である。
 ただし、根岸川柳の句が世界の異物性をぐいと突きつけてくるのに比べると、現実的な文脈のズラしや転倒の仕掛けが目につき、特に、性に関するテーマをとりあげる場合に通念に収まっているところが多い気がする。しかし、これは読者としての欲張りすぎか。

『赤松ますみ(川柳作家全集4)』新葉館出版、2009

短歌の俵万智やニューウェイヴ以降の、それまでの文学臭を落とした語彙による書法と近いものがあるなと感じた。

ぽつんと雨 モノクロになる水面        赤松ますみ

伸び縮みしてから窓になりました

くねりながら山の彼方をめざします

水のにおいがこの世のものであるように

水掻きができてくるまで手を伸ばす

つまさきで歩く銀河に触れながら

みずうみの底は予言に満ちている

向日葵の種が寡黙になってゆく

オムレツのような広場に立っている

くちびるがもうすぐ薔薇を吐くところ

 川柳独特の省略も読解がしんどくなるまでは追求しておらず強い読後感はないが、このあたりはジャンル内での作者ごとの選択の範囲だろう。「くねりながら山の彼方をめざします」では、「くねりながら」に「蛇」のイメージを想起して読者が読むことを狙っているのは明らかだが、そこをあいまいなまま読んでもさほど違和感なく読みおえてしまうだろう。そういう読者も想定しているのではないかと思う。他の句においても、イメージがはっきりと結ばれることなく、そのことがぼんやりと未来を暗示するという作品の構えとぴったり合っているようだ。
 こうした文体は川柳が、時実新子のような世代の作家のそれとはかなり違ったものになってきているよい例かも知れない。イメージや言葉そのものがどしりと存在感をもって、その存在感に作家の「思い」が沈潜している、という風には、ある世代以降の作家は書くのが困難になってきていて、それは決して悪いことでもない。べつに良いことでもないけれども。上にあげたような句では、一般的な感傷に落ちついてしまうギリギリのところで句が成立して、一般への通用性と創作的価値がともに成立していると思う。

『天根夢草(川柳作家全集6)』新葉館出版、2009

下の世代の軽めの作品とくらべると重みのある句に目が行ってしまいがちだが、作風が広く、それぞれのスタイルでの完成度も高い。

ふところの雲から定期券を出す         天根夢草

父はその母のくちびるから産まれ

昼寝して起きると雨が降っている

マンホール人がいるので蓋をする

夕立が来そうで来ない猫の腹

すぐからになってたのしいビール壜

たびびとは旅をつづけて絵の中へ

理髪店から一人ずつ巣立っていく

秋が好きヨドバシカメラ梅田店

モーニング娘。は海の香りせず

 高名な作家で、この句集にも代表句として知られた、私などでも何度か読んだ作品が収録されているのだが、どちらかというとそれらの句は外して選んでみた。軽みの句も、しっとりとした詩情を感じさせる句(「たびびとは旅をつづけて絵の中へ」)も、現代生活を大胆に組み込んだ句(「ヨドバシカメラ」に「モーニング娘。」!)もそろっているのが分かると思う。
 基本的なラインは、生活における実感にもとづいた作句であって、それを十分に感じさせるのは観察眼と言葉の使い方のうまさだろう。「夕立が来そうで来ない猫の腹」の下五の発見などはどちらかというと俳句的な目のつけどころに感じられるのだが、全体では川柳だなあと思わせられる。「父はその母のくちびるから産まれ」や「マンホール人がいるので蓋をする」のような反常識への傾斜が、ふつうに見える句にも批評性として表れているのではないか。そうした目の光りのようなものがないと、やっぱり作品として面白くないよなあと思う。
 

『板尾岳人(川柳作家全集12)』新葉館出版、2009

常識的な発想で終わっている句と、それを越えて面白い句の差があって、玉石混淆であるように感じた。前者の句が評価される川柳の場もあるのだろうな、と。

思いあまって母の乳房を噛みくだく       板尾岳人

死者だから舗道を歩くことにする

一枚の畳に砂漠が落ちていた

マネキンの臍のほこりは夏にとる

終りから読むと犯人死んでいた

溜息をつけば鼻毛が長くなる

竹馬に乗ると夕陽がまだ見える

孤独感井戸が深くてのぞけない

刑務所のとなりはパン屋秋深し

ライバルは走る私は飯を食う

 第一部は「山男」という題で、作者の趣味らしい山登りについての句が並んでいる。同好の士ならば楽しめるのかも知れないが、句として楽しめるかというとそうは思えない。第二部の愛妻川柳も、ほぼ同様の印象。ただし、おそらく題詠によるものだと思われる第三部は面白い。全体的な傾向としては軽めの句が多いのだが、そこに時間や空間のねじれなどが加わると、独特の手ざわりのある世界が生まれている。
 「後書き」に<自薦代表句>として三句あげてあり、「人間に逢いたくなって歩く道」「飛ぶことをわすれ瞑想檻の鶴」「いたずらがとっても好きなさくら餅」。この三句はずいぶん甘い句だなあと思う。なんというか、こうした評価もあるのかなあ、としか。

『今川乱魚(川柳作家全集13)』新葉館出版、2010

全体に無理な句がなく、生活の描写から離れていないけれど、句として自然に立っている作品が多くて楽しめた。

海ばかり見てても金はたまらない       今川乱魚

生きるためなら病院をはしごする

妻のいるシャワーの音がやわらかい

朝っぱらからやっている大リーグ

いちじくの葉っぱの位置は動かせぬ

口寂しい犬だな靴をくわえている

善人はときどきズボンずり上げる

鼻つまむと生きているのがすぐ判る

パイプオルガンで神様降りてくる

ムンクの叫ぶ口へあくびを噛み殺す

飛ばされた帽子追うのも春嵐

 第二部の闘病記の部分(上に引用した句では2句目と3句目)、こうした実録めいたものは苦手だなと思いながら読み始めたが、過剰な感傷抜きでしかも淡々とし過ぎないで書かれていて、作品としても完成度が高いと感じた。「他の闘病者に勇気を!」といった下心がまったくないのがよい。
 第三部は「人事万事ユーモア川柳」と題されているが、「ユーモア川柳」というこの作家の看板になった自己規定は(一般向けのアピールなのかも知れないが)、句の幅から言ってあまりよくなかったのではないかと思う。「口寂しい犬だな靴をくわえている」などにやわらかい世界へのまなざしがあって、日本語で「ユーモア」というときに考えるよりも広がりのある作風だと思う。

『遠藤泰江(川柳作家全集17)』新葉館出版、2009

「時実新子のような世代の作家」と上で書いたが、この方は(年齢でなく作風から)その年代に当たるだろう。

白いページがあるよき年のために              遠藤泰江

翔べそうで春の切手は多忙なり

グスベリ・桑の実 幼馴染の死亡記事

抽斗は春 芽の出そうな手紙

耳を買い足して他人の火事を見る

受取人がいない二十世紀の首

液化しているテレビ漬けの日常

群れている貧しい眉になっている

拳ひらくと火柱が立ち上がる

森の火事を見ている恋人が出来るまで

葉が落ちて空想力がついてきた

 <川柳作家全集>第1巻~20巻までで、私にとって発見だったのはこの作家。批判的な視線の勝った作風でありながら、しかも嫌味もないので、読んでいて気風のいい担架のような心地よさがある。一句に思い切りのよさが乗っている感じで、上の一句目などはわざとらしく、説教くさくもなりそうな題材なのにムリなく入ってくる。
 「受取人がいない二十世紀の首」の視点の大きさから、「群れている貧しい眉になっている」の鋭い皮肉、「拳ひらくと火柱が立ち上がる」や「葉が落ちて空想力がついてきた」の構想力。時実新子にも思うことだが、思いを伝える云々の前提として、言葉づかいのうまさや句のパターンの多さがあって、本格的な作家だと思う。こういう作家が100巻のうち50巻ほどなら10万だしても高くないかも、と思ったりもするんですが・・・。

「エラい」(どういう意味でかは知りませんが)先生方についても作品本位の読みをいたしましたので、そのあたり失礼だったとは思いますがご容赦を! というか、ここでとりあげる作家の方々は尊敬に値すると考えております。私がとりあげることができなかった作家も、どこかいいところがあるのかも知れません。
 あと、「バックストローク50句選&評」の時もそうでしたが、ひねくれ者であるせいか、代表句みたいなものは選ばない方向にいくみたいです。この作家ならこの句!、この作家を見落としているのは許せん!みたいな意見がありましたら、コメントいただけるとうれしです。

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