新葉館出版刊〈川柳作家全集〉を読む(2)

「新葉館出版刊〈川柳作家全集〉を読む」第二弾です。今回は20~50まで。ベテランの濃口味のセレクションになりました。

『大野風柳(川柳作家全集22)』新葉館出版、2010

境涯的にも読まれる作家かなとも思うが、事象をやわらかく把握していて読みの奥行きが広い作品が多い。

蟹の目に二つの冬の海がある      大野風柳

めんどりは夕焼色にすぐ染まり

平泳ぎのようにファックスが届く

鯛がまばたいたいいことがあるかな

非常用ベルを押したくなってくる

てのひらにひよこてのひらこそばゆい

美しい国の機械が子を生んだ

流れ弾に当ったなどと軽く言う

点滴を見上げる目玉から復す

骨抱いているいや妻抱いている

最初の二句は実際にはこうした視覚はありえないだろうが、言葉のうえでの構成で読ませてくれる。川上三太郎や岸本水府には比喩を核とした文体があるが、現在の川柳にはそれほど成功例がないように思う。「平泳ぎのように~」はなるほどの比喩で、現代的事象に近代川柳を活かしたよい例なのでは? 「てのひらに~」は平仮名書きが効果的で、「ひ」「て」「こ」の音がころころと転がって、ひよこの軽さが伝わる。「美しい国の機械が子を生んだ」のべとべとしない批評性もいいなと。

『笠川嘉一(川柳作家全集27)』新葉館出版、2010

省略や抽象が独特の効果をあげていて、なぜだか笑いたくなったり、ちょっと怖いような印象を受けたり。「飄々」という感じで、個人的に大好きな作風。

コンビニの弁当とお茶アスファルト       笠川嘉一

新聞で包みバタバタ追ってくる

うなぎ屋へふらりと入る油蝉

コチコチと穴へコチコチコチと針

ぼんやりと人眺めてる駅の椅子

回ってるだんだん近くなるやがて

ラジオ消す夜が分厚くなってくる

ここにこうカゲがありますボールペン

父と子を放物線がつないでいる

ひらがなを漢字に換えて立ち上がる

階段を上がる答えが浮き沈み

チューリップ傾いている風の線

日常を描くとつまらないという偏見があるかも知れないが、言葉の技術でこれだけ面白くなる。日常報告が面白くないのは報告の枠組みのほうが先だってしまうからで、事象から骨や皮だけをするっと抜き出してみると、日常は驚きに満ちている。こうした省略が現代川柳のひとつの重要な可能性ではないだろうか。

『金築雨学(川柳作家全集29)』新葉館出版、2009

すっぱりと言い切った句がほとんどだが、読んだ後でどこか引っかかって、じわじわと効いてくる。

窓開けて親孝行を見てもらう          金築雨学

顔の上を誰か歩いたようだった

魚屋の夫婦にヒロシマで会った

滑り台怒ったまんま降りて来る

先生の口の辺りが汚れている

家を出るときに時計が鳴っていた

素人が出刃包丁を持っている

望遠鏡の中は見知らぬ人ばかり

どこまでも追いかけてくる郵便夫

喉の辺りのぼんやりとした風景

指人形のオオカミも真剣だ

事象から核だけを抜き出すという点では先の作家と同様(「喉の辺りのぼんやりとした風景」などは笠川さんの句と近い)だが、ほとんどの句に不安の影がただよって、社会へと通じる批評性が前面に出ている。「ヒロシマ」「先生」「出刃包丁」「オオカミ」など、語がもつ一般的なイメージを捨てることなく活かしているからだろう。この一般的文脈を活かすというのも、川柳の強みだと思う。完成度が高い句風の作家が続きます。

『佐藤岳俊(川柳作家全集37)』新葉館出版、2010

社会性といえば、こちらはゴリゴリと露骨なまでにそれを主張している。すごい迫力。

逆吊りの豚の悲鳴を聞いてくれ        佐藤岳俊

倒された稲をさすれば穂を孕み

赤字線折ればごくごく血を吐ける

父の背を刺すリアカーの杭十本

やがて確かな円墳となる乳房ふたつ

鳥の巣をのぞく夫婦の火をのぞく

麦の芽にかくれてすすむ蟻の列

機関車の尻から朝が湧いてくる

今日の汗ゆっくりとストローをのぼる

叩かれて牛が斜面を落ちていく

胎生で生まれた田螺の子を見つめ

ミサイルはキリスト自爆のマホメット

私などは時代的に言って、自分がこうした書き方をするのは考えられないが、作品の強さが圧倒的なのは否定できない。「逆吊りの」「豚の」「悲鳴を」とすべてのフレーズが負のベクトルを向いていて、それを「聞いてくれ」と直截にぶつけてくる。「赤字線」が「血」へと直結する。自分の境涯を負として歌い上げるのはよくある気がするが、この作家は「叩かれて牛が斜面を落ちていく」のようにどこか社会的負の側面を突き放して描くところがあって、それが作品としての力へとつながっているようだ。

『佐藤美文(川柳作家全集38)』新葉館出版、2010

現代川柳には575の型以外にも77の型があるが、割合的には575のかたちがほとんど。この句集では77の句で統一してあって珍しい。

辞書の厚さへ羊おびえる           佐藤美文

てのひらを出て迷い込む森

そして忘れる花の在処を

あっけらかんと向日葵の首

ランドセルから陽炎が立つ

はだかになれば俺も王様

ふるさとの絵に旅人の顔

重い鞄とさいころの裏

四コマ目では誰も笑わぬ

天に向かって拍手喝采

全体読みとおしてみて、やはり77の句は難しいなというのが正直な感想。「ランドセルから陽炎が立つ」のような写実の句もあるが、着想一発(「ふるさとの絵に旅人の顔」「はだかになれば俺も王様」)、組合せの可否(「辞書の厚さへ羊おびえる」「重い鞄とさいころの裏」)といったところに句の成功がかかっていて、ずっと読んでいくと退屈するようなところもある。やっぱりパターンが少なくなるのかなあ……。

『嶋澤喜八郎(川柳作家全集42)』新葉館出版、2009

欲張らない表現、という印象。現代においては、〈自己表現〉=価値、という等式も成り立たないし、軽みの場で面白さを追求するのも一法。

カッターで切り取っている春の枠          嶋澤喜八郎

西瓜にも円周率が当てはまる

でかすぎる月で窓から入らない

むかしむかし鱗であった爪をきる

それ以上褒めるとけなすことになる

出て行けと言ったらみんな出て行った

自転する僕にだあれも気づかない

胴上げをされる背中にある虚ろ

水を飲む後ろ姿は撃ちにくい

精一杯笑いこらえているうどん

事象を強い解釈をせず掬いあげて逆に世界の面白みが際立つということがあって、「西瓜にも円周率が当てはまる」というと当たり前ではあるのだけれど、本当に当たり前か?と言う気がしてきたりする。「それ以上褒めるとけなすことになる」「出て行けと言ったらみんな出て行った」辺りがとらえている人間世界の普遍も、クドく言われると反論したくなりそうだが、こうさらっとしているとそのまま呑み込んでしまう。

『新家完司(川柳作家全集44)』新葉館出版、2010

ほとんど全句が酒に関する句。「バナナしかなけりゃバナナで酒を飲む」らしいです(笑)。

酒を飲む店がいっぱいある地球          新家完司

愛をください なければ酒をもう一杯

ふつかよいだれのせいかとかんがえる

これも修行おもしろくない人と飲む

プラットホームの端のあたりにあるあの世

いいピストルですね!おまわりさんにご挨拶

蟻の巣の奥には蟻の酒がある

誰の世話にもならず斜めに立っている

さけのみは麻酔が効かぬらしいです

虎落笛 空のボトルの口あたり

酒ばかり、とはいえ、句のバラエティは多い。「地球」をもち出してくる大風呂敷から、「ふつかよい」でぶつぶつ言う呟き、ふと日常に「あの世」を見てしまう感覚……。でもやはり、「蟻」にも「蟻」の酒があり、「虎落笛(もがりぶえ;冬の木枯らしが柵などの隙間に吹きつけて立てる笛のような音)」が吹くのも「空のボトルの口あたり」っていうのだから、徹底している。脱帽。

『菅原孝之助(川柳作家全集45)』新葉館出版、2009

イメージ(特に身体イメージ)が極まると重く響く句になっているのではないかと思う。

受け皿を水平にして他人の死       菅原孝之助

被写体になるとなびかぬ肋骨

逆さ吊りすれば消えた玩具たち

小児病棟のチューリップだけ伸びる

胎教やみんなみどりの革命歌

キリストのかたちで鮭が干し上がる

納まりのいい白鳥と親の骨

ハンドルの遊びと父の一周忌

ゆっくりと父を裸にした柩

手加減の中で殺したものばかり

全体に、世の中のどこかがうまくいっていない、というか、うまくいかない部分があるのが世の中で、そのうまくいかない部分を描くのだ、という強い意志が作句の裏(表?)にありそう。死を扱うときでも独特の生々しさがあって(例えば、「ゆっくりと父を裸にした柩」)、そこが説得力になっている。

『須田尚美(川柳作家全集48)』新葉館出版、2010

実感を基礎にしていると思うが、一句一句に鮮やかな飛躍があって面白い。「虚」が「実」を裏打ちするような……。

吐いた血のどこにも椅子が見あたらず        須田尚美

遊びに飽きて腸をひっぱり出してみる

森を消す手品師がいるさむいさむい

アンコールに応える爪が伸びてくる

忽然とコーヒーに浮くハムレット

読み終えた本から水がしたたりぬ

父の帽子に円周率が咲き乱れ

刃こぼれはなし梢から汽車が発つ

魔がさした夢は毛深くなるばかり

一目散に走って墓に突き当たり

いちばん驚いたのは、「読み終えた本から水がしたたりぬ」の飛躍。「~から~」のパターンは安易に書いてしまいそうだが、これほどしっくりいって、しかも解釈を許さないのも稀ではないだろうか。「父の帽子に」「円周率が」「咲き乱れ」や「刃こぼれはなし」「梢から」「汽車が発つ」となると、3つのフレーズが単純にはつながらないが、1句としてしかっかり立っている。こういう句は、言葉って面白いなと思わせてくれる。

『情野千里(川柳作家全集49)』新葉館出版、二〇〇九

いわゆる「情念」句が多いが、時実新子より自己からのエネルギーは少しうすく、そのぶん幻想の面白さが立っているという印象。

悪臭を放つ花だが揺れている         情野千里

人恋うは尿意に似たり踏みとどまれぬ

蛇口から遠いくちづけ落ちてくる

少年を抱くばたばたと死ぬ月のうさぎ

視神経に一本薔薇の木が混じる

抱きあえば雨の匂いの部屋になる

滝壺をのぞけば眉のない男

坊主めくりが始まる抱擁のうしろ

紫陽花の百の眼と合う四つん這い

桃咲けば棚も二階も怖ろしい

「視神経に一本薔薇の木が混じる」「紫陽花の百の眼と合う四つん這い」……。こう選んだ句を並べてみると、ホラー調の句が多いかもしれない。「滝壺をのぞけば眉のない男」は『御伽草子』や『雨月物語』の世界につながりそう。エンターテインメント性が高いと言えるかもしれない。読んでゆくと、ぱっと見よりはエロティシズムは少なめの印象。

『添田星人(川柳作家全集50)』新葉館出版、2009

自在な句風でやわらかさや軽さが表面に出た作品が多い。がその実、裏に剛直なものがありそうな……。

金魚舞ふダリヤを水に溶くごとく          添田星人

小便小僧偉大な冬をぶら下げる

騙されてみようかエンゼルフィッシュの透明な速度

水うまき里あり雪を三里来て

たんぽぽよ空の神兵たりし君

天球に天馬抱かれて鞠となる         鞠=まり、とルビ

泣きながら横に歩いた油蝉

かぎ裂きのままの八月いまも着る

降りこめて銭より重い花になる

まだ眠いバルーンゆっくり立ち上る

「金魚舞ふダリヤを水に溶くごとく」は俳句として読んでも佳句だと思うが、どこか句を成すときに豪腕が働いている気もする。「小便小僧偉大な冬をぶら下げる」となると、句作の力技が明白だが……。「水うまき里あり雪を三里来て」は俳諧の平句のひょうひょうとした味。「天球に天馬抱かれて鞠となる」の幻想の見事さ、「泣きながら横に歩いた油蝉」の強い実感。作家の全体像はとらえづらいかも知れない。

さてさて、〈川柳作家全集〉100巻の、とりあえず半分まで来ました。ぐいぐい押していく句風あり、ふっと力を抜く句風があり、さて、どちらが川柳なのでしょう。もちろん、「どちらも」でないと面白くありませんね~。

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