新葉館出版刊〈川柳作家全集〉を読む(3)

「新葉館出版刊〈川柳作家全集〉を読む」第3弾です。6人の方の作品を取り上げますが、作風の幅はひろくなっております。

『高瀬霜石(川柳作家全集51)』新葉館出版、2010 より

告白しますパンのお尻が好きでした

アルバムに毛虫のままの僕がいる

右利きは右の鼻毛がよく伸びる

リア王もオセロもマクベスも 馬鹿だ

マヨネーズかければみんな藪の中

まだ格好つけたい僕がいて困る

南極の氷を溶かすぼくの息

デジタルデジタルと蝉が鳴いてる

逆さまにしてもいいからいい国旗

愛なんて言うから探すひとがいる


軽みの勝った作風で、川柳の大方の作家より世代がかなり若い印象。ビートルズ世代(以降)といったところでしょうか。伝統系とされる句風はじぶんを「庶民」と規定して、そのレベルで共感を目指すのがたいていで、それはそれでよいかと思いますが、一般的「庶民」像が薄くなった現代ではどうしても古くさく見えがちです。高瀬さんの句はそういう湿っぽいところがなく、いちばん目立つのは、照れくさそうな、こんなこと言っちゃって、アハハ、といった笑い。社会批判も含んでいますが、説教くさくなくて読みやすい。

『田頭良子(川柳作家全集52)』新葉館出版、2009

オランウータンどっしりとしてふてくされ

賞状をもろうてうどん屋に沈む

雲走る忙しくなってきたノート

目障りなバラだどうして消そうかな

狂おしいくだりに本が閉じられず

朝々のリズムへしょうもない電話

友情が言わすぼろくそ受けて立つ

あかんべをして咲き切ったチューリップ

にょきっと雲あんな形の拒否だった

川柳をしながら呆けた人もある

対照的に、こちらは伝統系ど真ん中(だと、私は推定するんですが、どうでしょう?)。六大家と言われた人たちを読むと、私もいいなと思う句が多くて、田頭さんはその美点をしっかりと残している作家ではなかろうか。「オランウータン」の句の擬人法、「しょうもない電話」の庶民的リアリズム、「呆けた人」の健全な自己批評性(他の作家に、川柳をしているのでいつも元気です、みたいなうさんくさい自画自賛の句があって閉口しました・・・)。句風も多彩でいい句もたくさんなので、10句に絞るのが申しわけないという感じ。

『瀧正治(川柳作家全集53)』新葉館出版、2009

トーストが焦げると狂う数え唄

掌の上の石やがて微熱が去って石

向こう岸の火事が標本室にある

故郷の虹の高さに飢えがある

きび団子ひとつ血を噴く首いくつ

資本家がコピーの魚を掬い獲る

継ぎ足した廊下を耳が這ってくる

出る杭を抜くと明日が薄くなる

精神論を一歩も出ない父のメモ

花びらに触れると返り討ちにあう

もうこういう分け方も、とは思うのですが、瀧さんは「革新」系の作家になりそうですね。危機意識を暗喩を中心にしたレトリックで表現している。こういう作風も私などの世代には伝統系とはべつの意味で古臭く見えるところはあります。むしろ伝統系のほうが新鮮に思えるときが多いかも知れません。ただし、レトリックと内容が正確に的を射ているものは、圧倒的に強い作品になりますね。腹に溜まる感じです。

『たにひらこころ(川柳作家全集61)』新葉館出版、2010

萩は考え薄は答え出したがる

菊人形菊のたましい集められ

棘ひかる軽いジョークの筈だった

街路樹の皮膚が乾いて哭けませぬ

たった今リンゴを切ってきたナイフ

出生の秘密田螺の穴ふたつ

おいでおいでみんな消してあげるから

金魚掬いこぼれた方が生き残る

馬描いて赤いクレヨンやせてゆく

刺すところ間違えたのか鳩が出る

たにひらさんの場合は、すでに伝統・革新の区別は関係ないところでの作句だなあという印象。「うがち」も隠喩も「私性」も使いつ
つ、あえて作風の広さと強調もしていないところ。どこか題詠からくる自由さがあるように感じます。「萩は考え薄は答え出したがる」などは言葉の面白さが活きている作品で、この辺りは最近になってしか川柳ではありえなかった表現でしょうね。

『津田暹(川柳作家全集64)』新葉館出版、2010

教科書にイジメの手記も載せましょう

みどりの窓口に緑を買いに行く

八月以後は夢を見ぬカレンダー

開かない窓ふるさとに増えていく

パソコンに飽きて卵を立ててみる

君を拉致してみたくなる五月闇

冴えた目をしているゲリラかも知れぬ

帽子から鳩が出てこぬエピローグ

老人が歩けば老人に当たる

火が消える前に逢いたい人がいる

炎天下いつものように蟻の列

田頭さんと同様、伝統系ですがもっと社会批評性が立った作風。〈川柳作家全集〉の他の作家の句で社会批評、というよりは、新聞の見出しそのままの句を作品として出している例が多くてうんざりさせられましたが、津田さんの句のように事象をあくまでも軽くつかんでみせる巧みさがなければ、どうしてもそうなるのだろうなあ、と。ポイントは「パソコンに飽きて卵を立ててみる」のようなナンセンスな要素をいかに活かすか、ではないだろうか。勉強になります。

『野中いち子(川柳作家全集73)』新葉館出版、2009

曇天のむかしを轢いてうずくまる

戦場のうしろで焼ける朝のパン

親族のまわりで騒ぐやさしい他人

こともあろうに銃口と契る耳

熟睡の後のぼんやりした手錠

山動く小さきものの掌に動く

炎天の打楽器ふいに聞こえない

鉛筆がうろこ一枚葬りし

複眼の視野におびえるおとことおんな

夏はよる 静かに片目から閉じる

同じく批評性を感じますが、こちらはずっと内向的ですね。内容やトーンは重めですが、表現や題材の多様性にも意識が向けられているのが読んでいて楽しめました。題詠というと軽くなると見られている風潮もありそうですが、書き方をじゅうぶんに耕していればそこは関係ないのではないでしょうか(野中さんの句が題詠かどうかは定かではありませんが)。身体感覚が核なっている好句が多いですね。

さて、このシリーズももう一回で終わりになりそうです。恐いもの知らずで、全作家の作品から50句選なども計画しておりますが・・・。さて、現在の川柳界のどの程度を俯瞰できているか・・・。

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