折り鶴の向こうに続く背骨あり      畑美樹

『バックストローク』vol.35 より。

紐で連ねられた「折り鶴」を、遠く目でたどってゆくと、どこかからか人の「背骨」に変わっている。「折り鶴」と「背骨」はもちろんまったく異なるもので、現実では気づかないかたちで連続することはない。ただし、言葉が生みだす世界では、連ねられた「折り鶴」と私たちが人体模型などで目にしている「背骨」のイメージの類似が鮮やかに浮かびあがる。この句を読むためには、こうしたイメージへの感受性がまず必要だろう(もっともあらかじめ現実に即した文脈に収めようという構えがない場合、イメージの読みとりは自然に行われるように句は書かれている)。

その上で、「折り鶴」がもつ病人・怪我人への連想を働かせてみたい。上のイメージ上の連関は一種の隠喩的つながりを喚起しているが、こちらは換喩的つながり(意味上で、あるいは現実において、隣接する関係にある事象のつながり:例 傘/雨、風鈴/夏etc)である。直接は書かれてはいないものの、このつながりが連想されることで、現実的に病室(や他の死に関わる状況)に「折り鶴」が置かれていた場面を、句の読解と並行してわたしたちは思い浮かべることになる。「背骨」という語から、単なる病気ではなく、より差し迫った生死の境が感触されるかも知れない。

ただし、この句は明示的には、「折り鶴」と「背骨」の連続性、そして、それを「~の向こうに続く~」と見ている視線だけを示すだけにとどまる(「~あり」という言い切りも効果的である)。こうして暗示されたイメージと意味のこうした連関は、限定を受けることなく重たい印象として読者のなかに沈んでゆく。

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