密室の中でアリクイ盛り上がる   小池正博

 言葉にはそれぞれ文脈があり、詩を生み出すレトリックとしてその文脈を混乱させるという手法がある。この句の場合、「密室の中でXが盛り上がる」のXの部分に、意外なもの、アリクイが挿入されている。例えば、「密室の中で男女が盛り上がる」などとすれば、ありがちなごく普通の伝達文になるところを、アリクイという掴みどころのない生き物が登場することで、独特の世界の手ざわりが生まれるのである。こうした句の場合、一つの文脈(密室の中で~盛り上がる)と、意外なイメージ(アリクイ)が、背反しながら照らし合う、そのニュアンスを楽しめばよい。
 こうした句を「難解」として退ける人も多いが、その難解さの印象はアリクイという存在を他の部分の文脈にムリに埋め込んで、アリクイの裏に込められた意味を解釈しようとするところから生じる。また、そうした解釈はいくらでも可能でもある(例えば、密室で蟻という小さなものに熱中するアリクイの姿を、引きこもりでネット好きの若者の、メタファー(隠喩)と取るような・・・)。また、そこで立ち止まるのでなければいくらでも解釈を積み重ねるのは楽しい。しかしこの句は、なぜ「アリクイ」なのか、という問いの答え探しを求めているわけではない。
 こうした句の面白みはむしろ、ある言葉がひとつの文脈に収まることなく、言葉としての存在を主張してくるところにある。「アリクイ」という言葉は「密室の中で~盛り上がる」という文脈をとりあえず与えられることで、私たちが従来「アリクイ」を置いている文脈(動物園の隅っこであれ、異国の見知らぬ環境であれ)から解放される。しかも同時に従来の「アリクイ」という言葉で私たちが想起する質感、そしてそこから生じる違和感をもって、一句の読みの文脈へと現れてくるのだ。
 言い換えると、この句において解釈があるとすれば、「密室の中で~盛り上がる」という私たちの生活の中にある文脈に対して、「アリクイ」という言葉が与える解釈であり、批評だと言えるだろう。そこにさらに裏読みを加える必要はない。「アリクイ」がそこにあることが与えるざわざわとした違和感があればよいのである。

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