俳句八句      久留島元

「続きはウェブで」 

まずメール確認そして春の雪

猫の恋続きはwebで見られます

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壁一枚隣は花粉症らしい

水温む街にはblogあふれ出す

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3 Responses to 俳句八句      久留島元

  1. 久留島 より:

    >堀本吟さま
    ご無沙汰してます、懇切な読解、恐れ入ります。
    仰るとおり、これは「時事」というよりは、現代風俗に取材した連作、群作という扱いがよろしいかと思います。
    小林恭二は『短歌パラダイス』のなかで、俳句は機会詩たらないことが、川柳は機会詩たることが、詩型の生命線であるというようなことを述べています。全面肯定はできませんが、わかりやすい説明だろうと思います。誓子作品については、以前、昭和三十年代の句集を続けて読んでみる機会があり、堀本さん同様、風俗を詠む群作に変化があること、いわゆる誓子調ではない、妙なオノマトペや変な感覚の俳句が散見されること、などを確認したことがありました。戦後の誓子はおもしろくない、というのが通説ですが、あの長寿俳人の戦後の句業については、再検討する余地があろうと思います。

    「季語」という「便利なツール」(関悦史)の利用に代表されるように、俳句はある程度普遍的な共同性に回収されることを期待する詩型であろうと思われます。季語の具体的・普遍的な世界観と、ネット環境の虚構性、個別性、そのあたりを取り合わせられると面白いのではないか、などと思っていますが、果たしてうまくいっているかどうか。

    多くは後付の理由ですが。

    • 堀本 吟 より:

      久留島さんのこの句群については、他の議論ときりはなして、俳句の問題として議論したかったので、ここにコメントしました。

      「戦後の誓子はおもしろくない、というのが通説ですが、あの長寿俳人の戦後の句業については、再検討する余地があろうと思います。」(久留島さん)

      これは、私も賛成です、mixiコミュに「山口誓子」というのがあり。今そのお名前かどうかはわかりませんが、ハンドルネーム四童さんとこの事を意見交換をしたことがあります。それは、いつか、週間俳句にまとめられたとおもいます、「誓子の変な句」というのは、かなり井戸端会議的には関心の的になっているようですね。このことが大きな議論にならない理由の、一つには誓子像のあまりの固定化、神話化も大きな要因だと思います。

      ただ、まあ。好みとしては、私は戦前の誓子の力強い輪廓の方がだんぜん好きですけれど。

      としても。オノマトペは、その変な感覚の中にふくまれるのでしょう。でも、これは萩原朔太郎や中原中也、草野心平ら、自由詩の人たちによって、深層心理にふかく響くようなありかたで(というより内部の韻律そのものの気分や感覚を表現するために、もっと自覚敵に構成的に、すすめられています。
      (このことは北川透さんがいつか書いておられるのを詠んだことがあります。)
      いかに誓子でもいや誓子だからこそ、オノマトペで俳壇を席捲することは不可能だったでしょう。
      と言う風に、
      戦後の晩年のや山口誓子の思考することを推論するのは大変興味深いことです。

      それから、機会詩と社会性俳句や社会性川柳は、どうちがうのか。ここらは一緒に考えるべき事と分けるべきことがあります。
      時代に踏み込んだ句をつくるという良き意図にもかかわらず、いわゆるただごとの風俗詩になってしまう危険は、どちらにもあるからです。

      もうひとつ、他の現象やモチーフと並列させて、インターネットのことを風俗として時代を書くのなら、目的がはっきりしているので、それはそれでも良いんじゃないのでしょうか。上手下手はでてきましょうけれど、りっぱな知の遊びというべきでしょう。

  2. 堀本 吟 より:

    ●「続きはウェブで」 (久留島元)を、面白く拝見しました。
    まずメール確認そして春の雪   久留島元
    猫の恋続きはwebで見られます
    春嵐インターネットカフェの窓
    壁一枚隣は花粉症らしい
    水温む街にはblogあふれ出す
    you tube見過ぎであろう桜烏賊
    亀鳴いてwikipediaにもないことば
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    この欄出でている俳句は、目下は久留島元さんと私のだけですね。さらに投稿の事例を重ねて下さるように期待します。

    さて、久留島さんのこの「俳句」には、かつて山口誓子が、「スケート」や「ラグビー」を現代社会の表徴とみて、積極的に俳句のモチーフイにした姿勢を想い出します。

    まどろすが丹の海焼けや労働祭    山口誓子(昭和1)
    日蔽やキネマの衢(ちまた)鬱然と      (昭2)
    スケート場沃度丁機(ヨードチンキ)の壜がある(昭7)
    ラグビーの味方も肉を相博てり 同      (昭8) 
    ピストルがプールの固き面(も)にひびき   (昭11)
    枯れ園に向かひて固きカラー嵌む       (昭12)
    このような新時代の風物が国取り込まれて素材そのものの斬新さや緊張感を放ったのは、まさにこのじだいだからこそです。モチーフに関する新鮮なおどろきと好奇心が、誓子の即物的な書き方(写生構成)と合致していて、この一句において、徹底的なオブジェ化はなされています。これらは時事句とはいわれていません。
    ラグビーとかスキーは戦後にも造られましたが、もはや、事物の説明とか風俗的描写のいちぶとなっており、当初の緊張感はうしなわれています。
    しかし、
     ナイターの光楯は向変へず 誓子(昭和47)
    という誓子調もありますが、いわばあたり前の風物なので、たんなる時事てきスケッチとよまれてしまいましょう。

    さらに、
     スキーにて高天が原を下り始む(志賀高原)(昭和40年)
    などとよまれたら流石にげんなりします。

    そのかわり、これは誓子の句をもっと検討しなければなりませんが、
     ラレララと水田の蛙鳴き交わす (昭43)
     するするする会陽の裸体落下する (昭和44)
    と言うような、戦前にはでてこなかったあたらしいオノマトペがこころみられています。 

    また、「炎天」、「炎昼」、これらの季語は比較的あたらしいモノですが、昭和10年頃から使われ始め、誓子などがこれをつかって定着させたのではないかとも私は推察しています。

    私が、時事俳句の試みについて、どういう感想をもつかといえば、
    「メール」「web」「インターネットカフェ」「壁一枚隣」「花粉症」「blog」「you tube」「wikipedia」「掲示板」
    らが、言葉それ自体としての緊張を保つためには、これしかないのか、と言うことが、いろいろ試されて行くことが肝要かと思います。今回は、自分の位置から、インターネットカフェでウェブを観ている自分の位置からの発想です。
    誓子は、あたらしい現象を、風俗として書くのではなく、オブジェ、モノそれ自体を強調する方法を開発しました。現代のあたらしい素材である「インターネット」は「虛」の情報網ですから、完全なオブジェ化はむづかしいのでしょう。

    いまは、このように軽いスキップ調でしか、ネットネタは書けないのだろう。そう言う感想を持ちました。
    でも、もうひとひねり、それがどういう形になるかは言い得ませんが、もうすこし一句の意味のコードを崩してみたらおもしろくなるのでは?というのが感想です。

    まずメール確認そして春の雪   久留島元
     消えやすい春の雪とのとりあわせ。メール確認の方に心を盗られている、この感じが良く出ている。

    亀鳴いてwikipediaにもないことば
     「亀鳴く」という季語は、虛のモノであり、つまり、虛なるネット上の事典にも載っていまいというような、あっけらかんとつきはなした言い方がおもしろい。

    春惜しむ奴ら集まる掲示板

     これは、「掲示板」がここでは、ホームページの一角であることが凡ての人に判られていることが前提です。こういう時代なんだなあ、と季語の雰囲気を引き込んだ句です。
    これらの句には、ちょっとひねりや、意味の攪乱があり、面白く思われました。

    口語、ネットを時事俳句と成すさまざまの工夫を期待します。

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