俳句七句       堀本吟

 遠からず母はわたしを去るらしい

秋霞わたしは高速バスで行く

おとづれのあれは亡父です百日紅

はははちちとならびおよぎし梅津寺

はなたばのただよう瀬戸のくらげかな

脳内にさらりと牝馬肥えており

青淡きあさがおあさがお崖を這う

おかあさんお城は秋の匂いです


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One Response to 俳句七句       堀本吟

  1. 堀本 吟 より:

    湊圭史様
    拙句掲載の場を戴きありがとうございました。これらの句の投稿時にはまだ母は存命でしたが、9月14日に他界しました。貴方たちの詩の会で、岡村さんの「新撰21」の報告を聴いたころは、まだ、安定していたのですが。いつかは訪れる「親娘」の別れ、遠からずと言われていても、私はすこし希望的にみていて、高速バスの切符を予約しようかと思っていたのですが、きゅうにしらせがきたので、一番早いJRの特急電車で駆けつけました。が、最期には間に合わずそのまま、通夜、葬儀、初七日と、いつ眠ったやら何を食べたやら想い出せないような日々をあわただしくすごし、22日に自宅に帰りました。

    このような私的な行動のあいまに、上に書いたような回想や、在りし日の自分の帰郷の姿が想い出されたり。経験や記憶の感覚が過去原材、予感と錯綜した時のなかになげこまれてしまいましたので、、これらは所詮は脳内の観念(魂ってこういうものかも。)の再編の動きなのだと思った次第です。

    このテーマについては、わたしの文学思想の核になっているのです。
    ゆえに、強い個人的なメッセージ性が、詩型の最大公約数の姿を借りながらそこをまたいでしまっており、今回も、それが出ているなあと自分で思いました。ともかく、私性の極みへむかう機会詩の公表が可能になって、母の死への予感がすでに挽歌になってあらわれところが、私の繰り返された帰郷の帰結だったのだ、という複雑なでもさっぱりした気持ちです。

    私は、詩型のちがいにあまり大きな深刻な意味をあたえていないのですが、そのおおきな理由のひとつは、自分にあっては、こういう常に崩そうとする意志が湧くときに言葉がでてくるからだと思います。
    もちろんこれは存在論の問題です。存在の表現形式を私はさがしています。
    「川柳」「俳句」というすでに制度となった表現形式のことが、このブログの中心の議題となります。
    そのことは、またいずれ、共に考えさせて頂きます。ともかく、お礼とご挨拶までに。堀本 吟

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